月別アーカイブ: 2008年9月

緩・極まる一日

今日は定休日、お天気も気持ちの良い秋晴れ、片付けたい雑用、「パンだよりの」編集、したいことしなくてはならないことが沢山あったのですが、「そんな忙しいばかりでは人生は終われない!」という言葉が、朝から妙に頭を離れないので、強い気持ちで(!?)一日何もしないと決めました。
連れ合いと娘たちに、用足しと買い物に出かけてもらった後、庭に椅子を出して座り、ボンヤリと空を眺めていました。
空を行く雲の様子は、見ていて飽きることがありませんでしたし、耳にはいろいろな音が聴こえて来ました。
風の音に混じって、いろいろな羽虫の羽音やコオロギの鳴き声、そしてリスかネズミかはたまた野良猫か分かりませんが小動物がいるらしい物音が、遠くから田んぼで稲刈りしているコンバインのエンジン音も聴こえていました。
日が当っている間は至って快適でしたが、そのうち日陰になり始めた頃、やぶ蚊に追い出されてしまいました。
その後は、家の中で昼寝。
連れ合いたちが帰って来て、コーヒーを飲んだ後、また横になっていたらいつの間にか眠り込んでいました。
かくして全く非生産的、「緩・極まる一日」を過ごして、時間を無駄にしました。
でも、これが大切なんですよ。
自然界は、95%の無駄(ゆとり)と5%の実効で成り立っているそうですから。
もっともっとボーっとしていていいはずなんです。
おかげさまで、少し何かを取り戻したような気がしています。




しばし、この世の極楽

過労と失業

過労と失業が同居するおかしな社会。
今この国では、働き過ぎで体の健康を損ない、過労死する人、強いストレスに追い詰められて過労自殺する人が後を絶たないというのに、一方では健康で働く意欲もあるのに就職出来ない人、学校を卒業しても就職口を見つけられない若者も沢山います。

21世紀を迎える直前の日本で、失業率が4%を超えた時、ワーキングシェアと言う言葉を聴いた覚えがあります。
減った仕事を分け合って就労するというその考え方は、例えば、一つの会社に半日ずつ出社して仕事を分け合い、失業する人が出ないようにするというものでした。
それを耳にした時、私はちょうど山暮らしをしていましたが、これはいい考え方だ思ったものです。
半日会社で仕事をして、あとの半日は家庭菜園なんていいじゃないか。
それとも、視野を広げるために、あるいは資格を取るために、勉強するというのもいいのじゃないか。
収入は減るかも知れないが、生活に創意工夫を凝らす意欲を喚起したり、公的支援もあってもいいじゃないかと考えたものです。

しかしその後の日本は、ちっともそんなことにはならず、全く逆の方向に進んで来たように見えます。
少ない就労のチャンスを奪い合い、その結果労働力は買い手市場となり、労働環境は厳しくなる一方。
残業、休日出勤は当たり前、いろいろな手当てのカット、給料の切り下げなども珍しくない現状を見ることになりました。
今、少なからぬ人が置かれている現状とは、いくら働いても貧困から抜け出せない、つまり自分の労働の代価で生存が難しいという状況です。
過労死や過労自殺は、そうした社会が出した結論の一つだと思います。

ワーキングシェアは、どうして実現しなかったのでしょうか。
「21世紀は心の時代」という言葉も同じ頃耳にした覚えがあります。
仕事を分け合うという考え方も、それに連動していたように思います。
でも現実は、全部逆さまになってしまいました。
その理由の一つには、私たち一人一人が何か誘惑に負けて、欲を離れられなかったということがあると思います。
何と言ったら良いのでしょうか、そこには何かとてつもなく邪悪な意思が働いているような気がします。
誰の目にも明らかなように、もうここまで格差が出来てしまったら、一旦獲得した利権を自ら進んで手放す者はいないでしょうから、これからいつまで続くか分かりませんが、ますます競争の熾烈な社会になるでしょう。
はっきり言って、見たくない現実かも知れません。

どんな未来が待っているのか、少なくとも私は、絶望しているわけではありませんが、決して楽観してはいません。
真っ当に努力していても、この商売が続けて行かれなくなることだってあるかも知れません。
そんな時、どうやって生き延びて行こうか。
先ずはその前に、自分の欲求をどこまで減らせるか、それに挑戦したいと思っています。

来客あり、感謝の昨日今日

今日のカフェクラブの集いには、定員オーバーの8人の方がいらしてくださり、にぎやかと言うよりは緩々とした時間を過ごしていただきました。
それに先立って、実は昨日のうちから若い友人たちが3人ほど、泊りがけで来てくれていました。
久しぶりの大人数の食事をして、とりとめのないおしゃべりに花が咲いて、外はすっかり気温が下がって寒いくらいでしたが、あたたかく夜が更けて行きました。
昨日も今日もそうでしたが、私たちのキャラクター故なのでしょうか、人が集っている割には静かなんですね。
でもそれはそれで、こういうのもいいなぁと思います。
参加された方々はどんな印象を持たれたか分かりませんが、私は、こんな感じが好きです。
そうやって、じわっと少しずつ気持ちを温め合う中から、やがて何かを動かす本物の力が生まれて来るような気がするからです。
まあそう言っても、私が何か目論んでいるというわけではありません。
ただ、何かが育って行きそうな、そんな予感がチラと頭をかすめたのでした。
それはそれとして、昨日つくったカリーソースは、皆さんに喜んでいただけたようで、私には何よりうれしいことでした。
ありがとうございました。

挽き肉とナス科のカリーソース

チリーソースのつくり方をと思っていましたが、その前にカリーソースを一品。
トマトもですが、ナスも今頃になってどんどん採れるし、またおいしいんですね。
秋ナスって言うでしょう。
うちの畑でも、ナスがいっぱい出来ています。
そこで、鶏の挽き肉と昨日のトマトを合わせて、カリーソースをつくりました。
今回は玉ねぎは使わないで、ナスとトマト、つまり両方ともナス科の植物と言うわけで、挽き肉とナス科のカリーソースになりました。




さて、ナスは皮が入ると色が黒っぽくなりますので、皮をむいて使います。
火が通りやすい大きさに刻んで、水にさらしてアクを抜いてから、バターを溶かしておいた鍋に入れて炒めます。
そして、途中から湯を注して煮込みます。
時々突き崩しながら、完全に煮崩れてくるまで時間をかけます。




その間に、フライパンにオリーブ油を熱し、鶏挽き肉を炒めます。
弱火で、丁寧にほぐしながら、火を入れて行きます。
ナスが十分煮崩れて甘みが出たら、挽き肉を合わせます。




一度煮立ててから、トマト(ペーストにしておいたもの)を加えます。
トマトが入ると焦げ付きやすくなりますので、続けてかき混ぜていなくてはなりません。
煮立ってきたら、塩とカリーマサラ、そしてチャツネ(以前つくっておいたもの)を入れて調味します。
味が馴染むまでに少し時間がかかりますので、様子を見ながら、少しずつ濃くして行きます。
辛さは、時間が経つと落ち着いて来るので、最初は強めにしておくくらいでも大丈夫。



一晩おいてからが、グンとおいしくなります。
実は、明日のカフェクラブのお振る舞いです。

いざトマト


真夏のカリーソースづくりの頃は、トマトは意外に品薄で、加工用に使うのがもったいない気がしたものですが、今頃になってひぐらし農園さんで持て余すほど採れていると伺い、よしそれならトマトペースト造ろうと、今日、トマトを回していただきました。
何と言ってもトマトは大方水分ですから、保存用にペースト状態にするためには、どれほど煮詰めなくてはならないかということなんです。
先ずは水洗いして、それから皮を湯むきして、四つ割りしてヘタを落として、大鍋に入れて一度煮立てます。
この時にヘラなどで突き崩しておきます。



一旦火から下ろして、ザルを使って種とかたい筋を取り除きます。
それからもう一度大鍋に戻して、今度は湯せんにかけて水分を飛ばします。
こうすれば、時間はかかりますが焦げる心配はありません。



他の仕事でもしながら、気長に煮詰まって来るのを待ちます。
今日のうちには仕上がらないでしょうから、明日またパンを焼きながらやることになります。
実は、今回が二度目のペーストづくりですが、前回の例で行くと、5㎏余のトマトで約500gのペーストが出来ることになります。
何と、1/10になってしまうのですね。
この次には、食工房オリジナルのチリソースの造り方、ご紹介出来ると思います。

涼しさ通りこして、寒さを感じ・・・。

昨日からグンと気温が下がっています。
今日は雨模様で、一段と冷え冷えとしています。
この分では、飯豊の山上は雪になるでしょうと、常連の登山家の方のお話し。
おかげで食工房の作業場も、オーブンの余熱が心地良いくらいです。

当然、酵母の活動にも影響があります。
夏の間、醗酵が進み過ぎるのを抑えるために、あれこれ苦労していましたが、少し気温が下がっただけで、もうその必要はなくなりました。
作業手順も、パン生地の醗酵の速さに追い立てられることもなく、過醗酵で生地が弾力を失う心配もなく、ずい分気が楽でした。
きっと皆さまも、真夏の頃とパンの風味が違って来たのがお分かりになると思います。

ところでここ何回か、山の水を汲んで来てパンの仕込にも使っているのですが、明らかに醗酵の活力が強くなっています。
風味も少し変わったようです。
これから先、気温が低くなって来るにつれ、真価が分かるのではないかと思っています。
あと、プンパニッケル用に培養している、ザワータイク(ライ麦全粒粉100%に酵母とヨーグルトを入れて醗酵させている。)が、今日は素晴らしい香りを放っていました。
昨日、出来たばかりの自家製ヨーグルトを入れておいたのです。
これほど効き目があるとは思いませんでした。
チーズと一緒に食べるプンパニッケル、あとはほんの少し赤ワインがあれば最高。
これからの季節、プンパニッケルなど黒パン系が美味しくなります。

コーヒーブレイクのススメ


                                                                          Machiko



近頃、どの方面に伺っても、お休みも取れずに仕事に追われているという話が聞こえてきます。
食工房でも、定休日を二日いただいていますが、内一日は店は休みでも中で仕事をしています。
最近は、営業日よりもかえって忙しいほどです。
そして、残りの一日も休日返上しなくてはならないことが、この頃時々あります。
いくら納得してやっている自営業でも、一週間に一日くらいきっちりと休みを取らないと、さすがにストレスが溜まります。

ところで世の中には、私など到底及びもつかないくらいハードスケジュールで働いている人がいくらでもいらして、そんな話を聞く度に、それだけの体力と気力があるのをうらやましく思う一方、病気をしなければいいが、事故にあったりしなければいいがと心配にもなります。
実際、そうやって強制的に休まざるを得ない状況になった話も、沢山耳にしていますから。

しかしそれにしても、いくら忙しく働いても働いても、なかなか間に合って行かない生活、未来に安心を蓄えることが出来ない状況、これって一体何なんでしょうね。
まあ、そんな話はまた別なところで展開することとして、やはり休息は大切にしたいと改めて思いますし、皆さまにもそう申し上げたいのです。
「休息は時に、何かを成し遂げることよりもずっと大切。」とは、昨年私が自分のブログの中に書き残した言葉ですが、今改めてこの言葉を自分自身で噛みしめています。

ところで、休息の場に一杯のコーヒーがあることが、何より幸せと思うことがあります。
前にも書きましたが、コーヒーの香りには何か特別な素晴らしい精神的効用があるみたいですね。
私が焙煎したコーヒーも、どこかでそんなことのお役に立っているのだとしたら、こんなうれしいことはありません。
そう思いながら今日も一日、ご注文に促されてコーヒー焙煎に精を出していました。
昨年の私の記事<こちら>もご覧いただければ幸いです。

ささやかな幸せ


今日は、店の前の道路沿いの空き地の草刈りをしました。
そこは、この家と一緒に借りている場所ですが、年に二度くらいは草刈りをします。
今年は、二度目の草刈りが遅れて大薮になってしまい、ずっと気にしていました。
今日はやっと時間が空いて、2時間くらい作業することが出来ましたが、あと少しというところで草刈り機の燃料が無くなり、終了となりました。
でも、道路沿いの部分はきれいに掃除もして、すっきりと見た目も良くなりました。
それを眺めていたら、何かしみじみと幸せな気分になりました。

こういうことに割く時間があったことの幸せ。
体が動くことの幸せ。
周りがきれいになったことの幸せ。
これで十分と思いましたね。

それで、草刈りしていて気がついたのですが、草茫々にしておくと、空き缶やペットボトルなどが投げ捨てられるのですね。
今日も、2、3個見つけました。
捨てる人がいるんですね・・・。
それだけがちょっと残念でした。

  おしらせ
今週は、木曜日・カネリプッラ、土曜日・クリングラです。
みのりのパンは、土曜日に焼きます。
日曜日は、「カフェクラブの集い」を開催予定です。
時間は、午後2時より。 参加費1000円です。
参加者募集中。 

時事雑感

最近、気の重くなるような嫌な事件が続きます。
昨日、今日のニュースでも、幼い子どもが犠牲になった事件のことが報じられています。
九州の事件では、母親が犯人として逮捕され、世の中はすっかり言葉を失ってしまったかのようです。
これが、ただ単純に当の母親を責めればいいと言うような問題ではないことは、もう誰にでも分かることじゃないかと思います。
一体どうしたと言うのでしょう。
いつの頃からか私たちの社会は、何かとても大切なものを見失ってしまったように思います。
そして、どこかとても恐ろしいところに向かって、落ち続けているような気がします。
折りしも明日は、お彼岸の中日なんですね。
いろいろなことを思って・・・、あとが続けられません。

オーディオ、今昔






この2枚の写真を見て、使っている球と
回路設計に察しがつく方は、相当なマニアです。


音楽好きの私にとって、音源を再生するためのオーディオ機器は必需品です。
思い返せば、中学生の頃にラジオいじりから始まって、その後オーディオに傾倒した私は、友達に頼まれて作った分も合わせて15~16台くらい、真空管のオーディオアンプを製作した覚えがあります。
今は、手元に最後に作った1台がありますが、残念ながら使用していません。
今日ふと思い出して、写真を撮っておこうと引っ張り出して来て開けて見たら、37年前の苦心の跡に思わずニヤリとしてしまいました。
今後再び、このアンプで音楽を鳴らすことがあるかどうか分かりませんが、昔はこんな仕掛けで音を出していたのですね。
まあ昔の話はそのくらいにして・・・。

最近のニュース記事で見かけましたが、今家庭で音楽を聴くためのオーディオ機器の主流は、パソコンだとか!?
確かに、合理的ですねェ。
私だってメインではありませんが、パソコンにCD200枚分くらいの音楽ファイルを入れて、作業しながら聴いたりしていますから。
スピーカーだけ少しいいのにすれば、音質だって上等です。

話しが少し戻りますが、以前の私は、オーディオは絶対アナログに限るとこだわっていたのです。
そして、再生装置も真空管アンプ至上主義。
音源が次々とCD化して行くのを散々にこき下ろして、CDは買うまいと誓ってターンテーブルを回し続けていました。
でもそのうちに、大好きな音楽がCDでしか聴けない状況になって来ました。
また一方で、コンサートの音響を担当したり、録音に立ち会ったりする機会があり、生演奏がどのようにして録音され、編集加工されて音源として発表されるかを知り、生演奏のパフォーマンスにも度々触れるうちに、もう昔のこだわりはどうでも良くなっていました。

それに聴くばかりでは、音楽の楽しみの半分も味わっていませんからね。
下手でも何でも、自分で歌ったり演奏することを忘れたくないですね。
楽器を奏でることは、神さまが人間だけに与えた恩恵なんだそうですから・・・。