月別アーカイブ: 2009年7月

マイブログ中間報告vol.14

ここ二日間ほど更新を休みましたが、毎日更新を原則に、2年と4カ月余りになります。
おかげさまで、ここしばらく毎日の閲覧者数は、100超え200以内で安定しています。

このブログのおかげで、新しいお得意さまに出会ったり、ご来店ご注文の際に事前にブログをご覧になって、新製品の情報をいち早く察知して来られる方もあり、目的は十分に果たせていると思っています。

それはそれとして、只今も編集中の「パンだより」のような紙に印刷したものが、一方ではとても重要だということを、先日特別親しいお客さまと電話でお話ししているうちに、改めて認識いたしました。

パソコンを持っていない方は、もちろんインターネットをご覧になれないわけですが、パソコンもありインターネット接続も可能な方でも、日頃はほとんどインターネットを利用されない方がいらっしゃるのですね。
私のように商売上の必要があって、メール着信や自分のサイトへのアクセス状況を確認したり、ブログの更新やコメントへのお返事を書くために、一日のうちに何度もインターネットを開く方は、それほど多くないのかも知れません。

やはり、人それぞれの好みというものがあり、画面上で見るより紙に印刷されたものの方が落ち着いて見られるし、しっかりと頭に入るという方は実際いらっしゃいます。
と言うことは、ブログだけ一生懸命書いて伝えたつもりになっていても、届いていないことが案外沢山あるかも知れないことを、この際頭に入れて置かねばなるまいと思っています。

いやー、そうなるとまた忙しくなりますね。
ブログの有能性を発揮するためには、出来れば毎日更新が望ましいのですし、一方で印刷物の編集にも力を注がなくてはなりませんから。
一か月に一号、まあこのペースを守ることが出来れば十分ではあるのですが、お知らせだけではないことまで書こうと思ったら、もうそれ専従でやるほどのエネルギーが必要になります。
まあこの手のことは、好きなことの内の一つですから、もちろんブログも止めるつもりはありません。
時々、予告なしに更新をお休みすることがあるかも知れませんが。
気長にお付き合いいただければ幸いです。


印刷バージョンの「パンだより45・盛夏号」が、あと一息で出来上がりそうです。
明日中には、先ずホームページ上にアップいたします。
郵送を楽しみにしていて下さる方もいらっしゃいますので、発送も出来るだけ早くお送りしたいと思っています。

「市民平和まつり」に出店します。



画像クリックで、拡大表示します。


昨年から始まった、会津若松市・市民平和まつりです。
昨年の第一回目<参照1><参照2>に引き続き、今年も食工房がカフェブースの出店をお引き受けすることになりました。
まつりの詳しい内容は、ご案内のチラシをご覧ください。
期間中8月9日は、長崎市に原子爆弾が投下された日でもあります。
ぜひとも多くの方に集っていただきたいと思っています。


なお準備の都合上、カフェの出店は8/8と8/9の二日間を予定しております。
皆さまのご来場を、心よりお待ち申し上げます。


  ブログ、お休みします。


明日、明後日、「パンだより」の編集のために時間をつくりたいので、ブログの更新はお休みいたします。

ヒトがヒトでなくなる日

ヒトと野生の動物たちの決定的な違いは、ヒトだけが持っている知能と技能にあることは明白です。
そして恐らくヒトは、同じくらいの体格の他の動物たちと比較して、身体的能力のどの分野においても劣っていることは、これまた明白です。
走っても、跳んでも、持ち上げても、引っ張っても、あるいは噛み砕くアゴの力も、先ず何一つとして野生の動物には勝てません。


世界中のあちこちの先住民の教えにも語られているとおり、この世界で一番弱いヒトが、こうして地上で一番の繁栄を誇っていられるのは、一重に持っている知能と技能のおかげであると言えます。


しかし近年、その知能や技能に、またそれらを統括し裏付けるために必要不可欠な自然に対する感覚に、何やら異変が起こり始めたような気がしています。


ヒトよりずっと強くて、ヒトを容易く自分たちの餌食にしてしまえる肉食獣がいくらでもいる中で、多くの野生の動物たちがヒトを恐れるのは、長い時間をかけてヒトが築いて来た、ヒトと野生の動物たちとの間の良い意味での緊張関係がものを言っているからです。


その一番は、誰でもお分かりになると思いますが、火を焚くことです。
この地球上のヒト以外のあらゆる生き物たちは、まず例外なく火を恐れます。
夜中の野営地で火を焚いてトラの襲撃から身を守った話しは、私の父の体験談でもあります。


そして次は音です。
今私たちが専ら楽しみのために奏でる音楽は、元は神々の世界と交わるために、さらに遡れば、野生の動物たちを驚かせたり、警戒させたり、また逆に安心させたり、誘い寄せたりするために、音を使いこなしたことが始まりです。


例えば、北欧にクゥーラと呼ばれる唱法があります。
叫び声のようにも呼び声のようにも聴こえる歌声は、狼を追い払い、牛などの家畜を呼び寄せることが出来るのです。
世界中にあるそうした音を使いこなす技やそのための道具は、見るにつけ聴くにつけ、全く驚嘆に値します。
ディジュリドゥというオセアニアの先住民の楽器は、その低く唸るような持続音に、たいていの動物(犬や猫も)が警戒態勢をとります。
アフリカの太鼓も、音やリズムに様々な意味があり、特別な力を発揮することもあります。
否、それだけではありません。
ヒトが奏でる音楽に、動物たちが魅惑され酔いしれることさえあるようです。


このように、火を焚き音を発するだけでも相当な威力があると思いますが、ヒトはそれ以外にも沢山の手管を用いて、この地上での優位を確実にすることが出来たのですね。


ところが近年、火は外から全く見えないところで燃やされるようになり、四六時中垂れ流される雑多で無意味な音の洪水でしかない騒音は、もはや動物たちを警戒させることも無くなってしまいました。


加えて何より、未だにヒトの優位を信じて疑わない我々は、家の中で油断しきって過ごしています。
その間にも、野生の動物たちは、どんどんヒトの暮らすエリアに近づき侵入して来ています。
私の家の数100mの範囲には、もう当然のように熊が出没しています。
(姿を見たことはなくても、その証拠はいくらでもあります。)


その一方で、外で火を焚くな!ナイフは凶器になるので所持禁止!大きな音を立てれば近所迷惑!そしてやれ保護獣だ絶滅危惧種だと騒ぎます。


何かが違う!と、私はずっと思っています。
このままでは、やがてヒトがヒトでなくなる日がやって来ると、半ば本気で心配しているのです。
私の世代の者は、ちょうどその臨界点に立っているのじゃないでしょうか。
後の世代に何を伝えるべきか、今さらながらよく考えて行動すべきだと思う私です。

そしてヒトの知能や技能は、自分たちが優位に立つためだけにあるのではなく、他の生き物たちのために役割を果たすためにもあるのだということを、最後に付け加えたいと思います。

ケーキ屋さん


こんなに大きなビーターで、一度に32個分の卵白を泡立てます。



数が少ない時は、家庭用のミキサーを使います。


今日の食工房は、ケーキ屋さんでした。
食工房の焼き菓子メニューの中には、当然ながらケーキもあります。
最近、このブログには登場していませんが、決して焼いていないわけではないのです。
ただ、食工房ではそう沢山売れるメニューではないし、ケーキに取りかかるとその日はもう他のことが出来なくなるので、ご注文をいただいてからスケジュールを決めて焼いています。

今回は、ギフト用にまとまったご注文が入りましたので、一日たっぷりと作業に追われました。
食工房のケーキは、すべてパウンド型(小)を使って焼いています。
多くのお菓子屋さんが、紙製の使い捨ての焼き型を使っている昨今、やっぱり金属製の型の方が火の通りがいいような気がして、以前からずっとブリキの焼き型に敷き紙を敷いて使っています。

今日は、3種類のケーキを焼きました。
全て、卵を使ったスポンジケーキですが、それぞれ油脂の種類や中身が違うので、食感が異なるケーキになっています。



エルフの焼き菓子は、ココアパウダーとカカオマスのフレークを入れた、チョコレート風味のケーキです。
油脂分はサラダオイルなので、3つの中では一番ソフトな食感です。
ただ甘いだけではない、カカオのほろ苦さと香りを楽しめる、大人のケーキです。



アールグレーティーケーキは、アールグレー紅茶の微粉末をたっぷり入れた紅茶ケーキです。
秘密のスパイスも効かせてあります。
油脂分は、バターとサラダオイルをミックスしていますので、少し重さのある食感になっています。




アプリコットケーキは、ドライアプリコットをはじめ、レーズン、クランベリー、文旦ピールの4種類のフルーツと、バターとプレーンヨーグルトもたっぷり練りこんで焼いています。
甘酸っぱくて、フルーツケーキとチーズケーキを足して二で割ったような、風味と食感になっています。


ちなみに卵は、近所で自然卵養鶏に取り組んでいる、ひぐらし農園の浅見さんから仕入れています。


食工房のケーキメニューを、どうぞよろしく。
ギフト用などに、箱や包装紙も用意しています。


 

夕立

今日は、夕方から雷雨になりました。
仕事を少し早めに上がらせてもらって、あちこちジャングルになり始めた庭の草刈りをしようと、刈り払い機の刃研ぎを終わらせて、さてエンジンをかけて刈り始めたところで、頭の上に大粒の雨が当たり始めました。
刈り払い機を片づける間もなく土砂降りに。

そして雷が鳴ったので、今度は大慌てで家の中に入り、電気器具の電源を抜いて回りました。
PCはもちろんですが、先日入れたばかりの真新しい冷蔵庫と冷凍ストッカー、その他気にし出すとその数の多さに驚いてしまった私です。
昔なら、電球が一個切れたくらいで済んだでしょうが、この時代の家の中は何もかもが電気仕掛けです。
そしてハイテクの物ほど落雷の被害を受けやすくて、おまけに高価なものが多いのですね。
直撃雷でなくても、近くに落ちた雷の衝撃が電線を伝わって、周辺の家々の器具に被害を及ぼすことはいくらでもあるそうですから、ゴロゴロッと来たらもう油断はしていられません。
つい先日も、あるお店で冷蔵庫と冷凍庫とエアコンが一度にやられて、100万円を越す出費を余儀なくされたという話しを聞いたばかりです。
うちなんかその点、自宅と店は棟続きですから、必要とあらば夜中でも対応出来るのです。

でもちょっと考えてみたのですが、年間通して全国で、雷の被害で破損する電気器具の数は、一体どれほどになるのでしょうか。
決して軽いものではないと思います。
そして皮肉なことに、それによる強制的な買い替えは、そこそこ大きな需要となっているのじゃないでしょうか。
まだそれに雷の被害を受けるのは、家庭だけではありませんからね。
例えば携帯電話の基地局などが直撃されたら、いくらガードしていても、設備は無事ではいられないでしょう。
そしてどれほどの被害額になるか、ちょっと想像出来ません。

直撃雷の凄さと恐ろしさを、我が家は一度味わったことがあるので、よく分かっているのです。

便利になったハイテク生活も、雷に対してはいつもビクビク神経を尖らせていなくてはならないのですね。
遠目に見る稲光は、とても美しいと思いますが、余裕で眺めているわけに行かなくなってしまった、今の私たちの生活がちょっと恨めしく思われる夕立でした。

日本人が壊れる

衆議院が解散になるという話しで、それも長年続いた自民党主導の政治に終止符が打たれるかも知れないと、政界はもう蜂の巣を突いたような大騒ぎの様相です。
自民党そのものも、崩壊しそうな状況だとか。

申し上げておきますが、私は政治にはとうの昔に失望し切っているし、今の政治家と呼ばれる方々には、申し訳ないけど信頼なんてものは置くわけには行きません。
今回の選挙で、何がどのように変わるのか分かりませんが、建設的方向が見えていると言うならそれもいいでしょう。
でも私には、そんな希望は見て取ることが出来ません。


それよりも自民党という政党、私は決してひいきじゃありませんが、良くも悪くも日本人の国民性が、象徴的に現われた組織だと思っています。
理屈よりも感情に動かされる傾向、大勢の動きの中に埋没するのを良しとする傾向、前例重視で変化を好まぬ傾向、この政党が提示することは、いつも概ねこの国の人々の心象に符合していたのですね。
そのせいでしょうか、時折多少の反感を持つことがあっても、結局私たちは、新しい道を歩く勇気を持たずに過ごして来たのでした。
その間に私たちに身についてしまった習性があるとしたら・・・、それは思考停止ということでしょうね。


そんな中で民主党が政権を取ったとして、果たしてどのようになって行くのでしょうね。
政治はいつも、国民が歓迎する方向へと迎合する傾向がありますから、気がついて見たら民主党がそっくり自民党の代わりをしていただけなんてことになるかも知れません。


それとも・・・、自民党が崩壊するということは、この日本人の精神性のどこかが壊れてしまったということでしょうか。
それもありそうな話しだと思う私です。


いずれにしてもこの先、油断はしていられません。
私のような零細な自営業で喰っている者は、為政者のちょっとした気まぐれの決断のせいで、足元を掬われて生きて行けなくなるなんてことが、この先いくらでも起こりそうですから。
本当に一歩一歩、どこに足をおいて進んで行けば良いか、自分だけが頼りだと肝に銘じています。

夏休み

今日は、朝のうちから近所の子どもたちが自転車に乗って走り回っているのを見かけて、「ああそうか!夏休みなんだ。」と気がつきました。

若い頃は気ままに過ごし、結婚してからもほとんど自営業。
山暮らしの時も、人に雇われて働くということはなかったので、いつでもどんなことでも自分で決めてやって来ました。
忙しくするのも暇に過ごすのも自分次第。
その結果、我が人生には労働と休暇というメリハリはありませんでした。
それが良かったか悪かったか、評価のしようもありませんが、このところの忙しさにちょっと嫌気がさしたものか、今朝は夜明け方の気持ちのいい時間に、外の空気を吸えない作業場にこもっているのが恨めしく思えました。


ああ!今、マキストーブに火を起こしているところだったら、どんなにいいだろう・・・などと、夢想していました。
思えば、山暮らしをしている時にそのチャンスはいくらでもあったのに、時間が自由な時は案外朝寝をしてばかりでした。


この夏も、また何日間か夏休みをいただくことにしていますが、私の休暇はいつも、普段手が回らないことを片づけるのに時間を費やしてしまいます。
さあ休むぞ!と思ってちゃんと休めた試しは、実はあまりないのです。


それよりも、日常のちょっとしたすき間に思いがけない安らぎの瞬間が見つかる時の方が、よほど癒される気がします。
それが自営業のいいところかなと、私は納得しています。
いわゆる OFF の時間に、どこかに行ったり、お酒を飲んだり、何か目先の変わった楽しみを求める必要は、私にはあまりないのです。
そんな時間があるのだったら、畑にいるか、山歩きをしに行きます。
もっと小刻みな時間しかなければ、「お空眺め」をするだけでも結構。
パッと表に飛び出した時、木立の向こうに月が上って来るのが見えただけで、幸せな気分で元気になってしまうほど、私の心も体も単純になってしまったようです。


さて、今年の私の夏休みはどのように・・・。

差別化の果て

物が豊富になると、売れなくなります。
それが経済社会の原則ですね。
そこで商売人たちは、いろいろと手を考えるわけです。

一つは、同じものなら一円でも安く売って数で稼ぐ。
あと一つは、同じものでも質的な違いを主張して、(つまり差別化ですね。)一円でも高く売る。
この二つのどちらかになります。
それが段々エスカレートすると、物の値段は高い安いの両極端に偏って行きます。

コーヒーのような嗜好品の世界では、差別化のネタをいくらでも見つけることが出来ますから、差別化による付加価値は、全く途方もない所まで登りつめます。
昨年このブログでも取り上げた、100g7350円のコーヒーの話題<参照>は、いまだに記憶に新しいところですが、今年産販売の企画の新聞広告を少し前に私も見ました。
そうかと思えば、スーパーの安売りコーナーでは、200g3缶で1000円のコーヒー豆(挽豆)が山積みされています。
そしてさらにランク落ちしたものは、産業廃棄物並みに扱われて、一般消費者の知らないところで加工品になって行きます。

多分、大方の生産地では、消費地でそこまで価格差が生じていることなど知る由もないでしょう。
本当に良いものが高く売れて、その分が生産者にストレートに還元されるなら、それはそれで結構なことだと思います。
しかし現実、価格の決定権は、流通業者と焙煎業者など間に立つ者たちの手中にあります。

かく言う私も、その立場にある一人には違いありません。
自分のコーヒーを認めてもらうために、差別化は避けて通れない一つの手法として、この私も使っています。
ただし、そこには必ず明確かつ消費者の方に納得していただける理由があること、これだけは守りたいと思っています。
確たる根拠も無くでっち上げた差別化は、仮に一時的な利益を生むことがあるとしても、いずれ必ず業界全体の信用を大きく損なう元になりますから。

そしてやはり、一番に考えたいのは生産地のことです。
我々が取っている差別化という手法が、生産地にも良い刺激となって、質の高い生豆の生産に意欲が増す方向を見つけなくてはならないと思っています。


そんな意味合いも込めて、いつか皆さま方に、生豆の選別体験をしていただくイベントをやってみたいと思っています。

藤島晃一 ライヴ・本番


写真撮ったのはこの一枚だけ。それどころじゃありませんでした。


正直、CDを聴かせただけでは絶対に伝わらないものがあると、いろいろな人のライヴに立ち会って来て分かっていました。
藤島さんの音楽、というよりパフォーマンスはなおさらそうだと、昨日のライヴに立ち会って実感しました。
冒頭一曲目が始まって、長いギターのイントロに続いて第一声を耳にした瞬間、頭と体がカーッというかゾクーッというか、違う世界にトランスして行くのが分かりました。
こういう感じは今までに何度も味わったことがありますが、それでもそう滅多にあるものではありません。
同じ人のステージでも、来る時と来ない時があったりもします。
またライヴの中の全部が全部というわけでもありません。
でも、たとえ一瞬でもその感覚を味わうと、ライヴの良さの虜になって、私などはこうして自分で企画してでもやりたくなるのですね。

音楽と言っても本当にその世界は無限に広く、私の場合は限定した好みというものは存在しません。
ほとんど何でも来い!です。
ですから、一昨年、さらにその前の年と二回関わった、ショーン・ライアンのライヴの時も、今回の藤島さんとは違いますが、思わず目頭が熱くなり嗚咽が漏れそうになるのをこらえるのが大変なほど感激していました。
こんな風に、音楽の種類傾向によって違った感慨を味わえるのが、またいっそう私を音楽に近づける理由でもあるのです。
でもあえて言うなら、人類にとっての音楽のルーツに近いものほど、好みに合っています。
反対に、商業主義に乗ったものほど気持ちが動きません。


そうそう忘れてはならないのは、一昨日の「チャルジョウ 納涼の宴」です。
この時のヴォイスパフォーマーのarincoさんのパフォーマンスの中にも、その一瞬があったことを銘記しておきたいと思います。


これでは、また誰かのライヴを企画したくなるでしょうね。
こうして時々変なことをやる風変わりなパン屋を、応援していただければ幸いです。


  おしらせ


藤島さんの作になる写真集とポストカード、それからCDをお預かりしています。
食工房にて販売しますので、興味のわいた方はお声をかけてください。
また楽器屋DONでも、CDを販売しています。  <こちら>


  ありがとうございました。


今回のライヴに関し、PA(音響)には特別なこだわりのある私の意向を汲んで最高の音作りをしてくださった、「ヒロミュージック」の高橋博之さんに特別な感謝を申し上げます。
また会場になりました「風街亭」さん、その他ご協力いただきました関係各位、ご来場くださいました方々に対し、改めてこの場を借りてお礼申し上げます。